正平十年:南北朝時代の1356年ごろ.
 拓本家村田和義氏がこの板碑の拓本を作成されており,氏によれば「蓮座の下には変わった配置で、三行に陰刻された紀年銘が認められる。」すなわち,左から「観応三□」中「十二月一日」右「□妙尼」と判読されるとのこと.更に,拓影によれば像は2本で一組とした線を11組放射状に並べた光背を持ち,これは阿弥陀如来の特徴だそうで,浄土真宗では放射光背の阿弥陀如来立像を本尊とするそうです.つまり「お大日」もしくは「大日如来」と語り継がれてきたのは誤りで,本来は「阿弥陀さま」だったのでしょう.村田氏は「坂井板碑が大日像というのには信仰の流れから外れるのではないか,何故そのような伝承が生じたのかという気がします.」といぶかしがっておられます(私信).なお,この板碑の写真と拓本は下記URL

https://akisinogaw.exblog.jp/m2008-01-01/


に掲載されています.
 また観応は三年までで,観応三年は西暦1352年である.一方,正平十年は南朝で使われた元号で西暦1355年である.千勝神社案内の著者(義重)が観応ではなく正平を使い,更に約3年程ずれた「正平十年」とした理由は定かではない.按ずれば,そもそもこの板碑は南北朝の争いで戦死した者を供養する塔婆であったのだろう.当時この地域は南朝を支持するものが多く,著者義重はその南朝を慮り,南朝で使われた元号の「正平」を使ったのだろう.

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