「鳥居のようなる」とあるが,これが現在の千勝神社の鳥居ではないかというのが義重の説となります.恵心尼の夢内容によると「東向きにお堂はたちて候ふに,しんがく(神楽)とおぼえて」とあり更に「お堂のまへに鳥居のようなる」とある.恵心尼がお大日に宿泊したと仮定した場合,この情景を実現する場所の候補としては下航空写真四角内辺りであろうか.
 この後(1426年),現在の下妻千勝神社に遷座されました.


恵心尼時代の千勝神社位置想像(航空写真.写真クリックで拡大)


 なお,今からおよそ130年前の明治14年(1882年)頃に陸軍が作成した地図(明治14年10月13日出版版権届 兵要 測量軌典 の関連)には当時の坂井村の住宅が記されている(下の左側地図).

右側の地図は坂井村部分を拡大したもので,地図上への記入は本HP作成者である(クリックで更に拡大).
 明治時代の地図上にも坂井村北部お大日付近に神社の遺構の形跡は残念ながら見あたらない.

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